しにたい健康だよ
今ビールbarでぽちぽち打ち込むなど優勝している。
さっき地元の銭湯へいった。こりゃ優勝
なにももたない私はタオルをレンタルした。
銭湯にあるリンスインシャンプーを使ったのだけど、そうじゃない持ち込みのひともいて、いろんな匂いがする。
みんな生まれたての匂いがする。
同じ湯につかって、赤の他人なのに、同じ温度で癒されて、みんなでいっしょに回復しているのが本当に心地いい。
きょう最高だったひと、最悪だったひと、色々あるけど、みんなおつかれさま~
𓆲
おふろに入った、あの、ふはあ…みたいな溜息のタイミングが一緒で、ふやけた顔のおばさんと目があった。
言葉はないけど、たぶんお互いにお疲れさまって言ってる気がする。
きょう仕事は、お風呂担当の日で20人くらいお風呂お手伝いした。
お湯ってほんとに不思議で、自分を自分であたためきれないとき、本当に頼りになる。ただの水でしかないのにナ。
毎日の治療がつらい人、お家に帰りたいけど帰れない人、あしたの体が心配で眠れないひと、いろんな人がいるけれど、お風呂につかって時がほぐれる表情はみんな同じで、なんだかいとおしくなる。おゆの力は偉大だと思う。人が人らしくあれる場所で。感情がすごく素直になる。
仕事おわりは私の体はお湯を求めて小走りでお風呂屋にいく。
お湯で体と心をチューニングする。
仕事で、「つらい」って言われた裏の理由を掘って掘って、わからなくて不安になる。たしかな言葉なんてかけてあげれない。
やさしい世界でわたしだけくすんでいるような気がする。お湯はどこまでも透明でいいナ
そんな仕事で疲れ切ったあたまを今日の出来事採点なんかさせて、さらに疲れてしまう。採点なんかしたくないのに頭では肯定されたさが暴れて、プライベートにもどれないのだ。
肯定怪獣が暴れてる。
温泉にはいって時をふやかして、ゆっくりあたしが個人に戻っていく。
その時間がすごく大好きだ。自分を大事にできない自分が一生懸命自分を大事にしようともがいてる感じがするが、ぎこちなさも含めてぎゅをしたい気持ちになる。
わたしは人がきらいで。だけどさびしいから、同じところにはいたい。
銭湯やこの飲み屋だって、となりは知らない人が二人で話しているけど、同じ店の同じ曲を聞いて一緒にいるような、いないような、がほんとに心地いい。
周りと一緒に心がハピすることを「コミュニティヘルス」と言って、密かなブームなのだけど、これがコミュニティヘルスなのではないか、と、ひとりふむふむとする。
緩い和のなかでゆっくり生きて、死なない。
自分の大事が一番大事で、周りもいる中で自分がいる、その緩さの輪にずっといたい気持ちがある。
ゴミにもならない、あたしの健康の話ね、
あたしは人の生きたさを肯定していくような仕事についているけど、正直自分はつねに死にたみがある、通年しにたみ
消えたみが「不健康」で、死にたみがまだ「健康」なコンデションなので、黒のなかにも地味にグラデーションがある具合なのだ。
そんなコンディションでぎりぎりを生きてるもんだから、患者さんの死にたさを強く否定できない。わかるとしか言えない。わからないけど。
だから、「そばにいる、そこにいる、いてほしい」を大事したいなァ
はげますコミュ力はないし、前提にキラキラの人生じゃないし、なにせ生きる屍の身なので
「そばにいる、あなたがここにいる、いてもいい、どちらかというといてほしい、らぶ」しか言えないナ
短歌がすきなのも生きたさを肯定されたいのかもしれない、わたしこの仕事むいているのかな、なんて今週もう何十回って考えたって、すでにビール飲んじゃもうなにもわからないね~
さ、ハピだから踊っちゃおっかね
てんてこのまい〜〜〜
短歌
「もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい」
岡野大嗣