溝は私でうめないでと思った日のこと

月明かりがそれはそれはきれいで、1人でいたらきっとさびしくなってしまう日のことです。

 

むかし、すこし好きだった男がおりました。

その人はゴールでシュートを撃てないけど、みんなから"優しい人"と呼ばれる「仏」のような人で。

 

その仏とよるごはんに行きました。

かれこれ4年ぐらいごはんに行く仲の人です。

 

話をする中で、はじめは好きだったけれど、ゴールの打たない女々しさが嫌にやって、「あ、仏とは友達にしかなれない」と感じたことを思い出しました。

一線を緩やかに引くくせに、したたかな下心でホテルへ誘ったり。ソフレって関係性を口にしなかったり。孕んでる心の裏に気づいては、仏から、関係性をちゃんと言って欲しいなって、膿のドス黒いところと思っていました。(私はいえないから)

 

実は仏には彼女がいます、3年目の。

 

一緒にホテル行かない?と誘われました

コロナだし、後飲みに行けないからって。

ちょっとお酒飲んで寝るだけ前にも何もなかったでしょって。

 

はじめはなんだか気持ちがわからなくって、断れなかったけれど、確かに「仏」のソフレになりたい訳でもない。

でも正直少し誰かに甘えたい。けど仏は嫌だ。

みたいな気持ちになってグチャグチャ…

そしてホテルへ行く途中で、断って帰ってきてしまいました。

 

色々考えてわかったことがあります。

それは、ああ言ってほしかったんだなって。

自分の弱さで言えないところをあなたにかばってほしかった。

私はあなたの何かになりたかった、

 

彼女の溝は私にしか埋められないって、言ってほしかった。なんて欲張りなんだろ。

 

自分の膿を直視したら気持ち悪くなりました。ゲロのあとの吐瀉物の匂い。

 

たとえば、仏の歩くスピードが速くて、きっと彼女だったら合わせてくれるのに。彼女だったら歩幅を合わせるんだろうな、とか。

 

彼女の溝を感じて、これが一線なのかと思うと、欲張りたくなくても闘争意欲に駆られてしまうし。彼女になりたいわけでもないのに、とか。

 

もう「さびしさの埋め合わせ」をやめましょう。

だって、人のものを見ると羨ましくなってしまう。だけどそれは本意じゃなくって。本意じゃないのに流されてしまう。わたしは弱い人間です。関係が拗れる前に、手を離す強さがほしい。蜘蛛の糸が切れるような、切れる力強さがほしいのです。

 

頭がいたい。それとねむい。

私はわたしのものでしかなくって。

考えすぎたら頭がいたいですねえ。

 

月がきれいで泣きそうな日のことでした。

 

おしまい。