【今年振り返り】109回国試卒のうちらは伝説、えらすぎて泣ける医療者デビューお疲れ様の話
109回看護国家試験卒のみんなへ
うちらはもっと讃えられるべきひとだよ!!!
だって入職説明には聞いてない感染症がバカ流行して、医療者デビューした途端、コロナの感染症の恐怖と闘って、さらには病院カースト底辺の新卒はコロナで機嫌のわるい上司に気をつかってすりへるわ、さらには社会人ポヤポヤで、右も左もなにもわかっちゃないのに、老人や上司との会話なんて何から話したらいいのかわからない。慣れない環境でひとり何をしても怒られる。レビューブックじゃ戦えない。
そんな疲れやしんどさMAXで、毎日ため息はとうに大気圏突入してんのに、
プライベートは自粛しろだと?
医療者感謝してるがんばってだと?
こんなにがんばってるのに、
さらにがんばれと?
感染したひとたちは遊んだ人たちなのに。そうじゃない人ももちろんいるだろうけど、気持ちに余裕がないとき、やさしさがなくなっちゃって、また自分を責めたりしてた。
どこにも逃げずに、あるいは避難したり
各々で苦しさと闘って。
仕事が終わっても眠る前には遅刻や怒られたこと、やり忘れた仕事を想像をしては眠れなくなったり、不安に苛まれては苦しかった
患者さんのPCRが漏れてもしかして陽性の人だったら??
あんなウッすぺらいエプロンで何が守られるんだろう、とか。
いろいろな不安がひとつひとつ重かった。苦しかった。ほんとたくさんの夜をのりこえたね。
そんな夜を300回くらい乗り越えて、
今を生きてると思う。
すごい!!医療を支えてくれてありがとう109回国試卒!!!!!!(自画自賛)
門出はめちゃめちゃだったけど医療者デビューおめでとうな!!!!
ニュースでさらに医療者がんばれなんて、声もあるけど、うちらは、うちららしく生きてこな
来年、我々にはじめての後輩ができる、
後輩を指導なんてそんな大それたことはできないし、自分の身を守るのでも精一杯だから気をまわせないかもしれないけど、
遠いところから守れたらいいな、、
残したいものを手のひらであたためていくよ
どうも〜。みなさん元気かねえ。
もうすぐ1年が終わるなんて、コロナのせいでタイムワープしたような、なんだか孤独のてんてこのまいです。
コロナで外に出れなくて、趣味がひとつ増えました。インキャ感大幅な増加なのですが、キャンドルがすきです。火のゆらめきがたまらないのです。
今日家族でキャンプしました。
暖炉の火がそれはそれは、きれいでした。自然の火は深みがすごいのです。おじいちゃんと火を眺めながら飲むウィスキーは格別なうまでした。うまうま。こころからあったまって、2人で目尻がまるくなりました。
ハウスの外は、手の動きが鈍くなるような寒さです。夜はおじいちゃんと星をみました。空気が澄んで、お酒であたたまった体に、さむくて針のような痛みで鼻がツンとしたけれど、プラネタリウムみたいな星たちでこころがいっぱいになりした。だいすきな人とみる景色は最高なのです。
おじいちゃんは、これよりずっと綺麗な所知ってるぞ、とフンと自慢そうに話します。イタリアの夕日、フランスの夜景、どこもニコニコ話すけれど、行く場所はぜんぶ、おばあちゃんと行った思い出の場所でした。おじいちゃんは自覚ないけど、おばあちゃんのことめっちゃ好きなんだなア、いいなア…うらやましいゾ
だいすきなひととみる景色はきっと特別きれいなものだから、わたしはだいすきなひと…見つけたいなあと思うのです…(いない)
キャンプ場を掃除して出るときのこと。お父さんは掃除機の中のごみに気づきました。透明なダストには見る限り、虫の死骸、ホコリ、髪の毛がたまっていました。汚すぎてわたしは見て見ぬフリをしちゃいました。おとうさんは一つずつ手でほどいて取っていて。人としての鏡をみたような気になって、足の裏がムズムズしました。善人とはこのこと.…すごいなア
お父さんはとってもマメでやさしい人です。
お父さんの方のお父さん(お父さんの方のおじいちゃん)はもう亡くなっているけど、それはそれはとんでもない人だったそうです。お父さんとは似付かないほど暴力的で、酒を飲みすぎて死にました。お父さんは、子供たちのためにそんなお父さんにはならないぞ、とマメなのは努力したからなのです。
努力のやさしさをみて、善人とはこの人だと思います。
おじいちゃんやお父さんは、たくさんやさしさをくれます。
火のゆらめきはあったかくて、気持ちがいいです。火をみながら、わたしは誰かにやさしさをあげれるのだろうか…と暖かさを独り占めしてる気分になりました。手のひらの火は時間がたつと黒い炭になってしまいます。火のあたたかさのまま誰かに手渡すことなんて、できる気がしなくって、こころがヒュっとなりました。わたしのやさしさを受け取った手は、独り占めばかりして、まっくろです。
こんなにやさしさでお腹いっぱいなのに、わたしは何を残していけるのかなア
こんな孤独のわたしですが、拙い文字に残して、残したいことだけを文字にできるのです。文字の温かさなど、小さな火にすらならないかもしれないけれど、わたしが1人分あたためられたらいいナ、じぶんをあたためることに精一杯です故、ひとり分しか入れないなア
だけれど渡されたやさしさは、ほんものだから、何度も思い出して、ひとり分を咀嚼して、文字で残して、誰かに渡すときまであたためられたらなア
しにたい健康だよ
今ビールbarでぽちぽち打ち込むなど優勝している。
さっき地元の銭湯へいった。こりゃ優勝
なにももたない私はタオルをレンタルした。
銭湯にあるリンスインシャンプーを使ったのだけど、そうじゃない持ち込みのひともいて、いろんな匂いがする。
みんな生まれたての匂いがする。
同じ湯につかって、赤の他人なのに、同じ温度で癒されて、みんなでいっしょに回復しているのが本当に心地いい。
きょう最高だったひと、最悪だったひと、色々あるけど、みんなおつかれさま~
𓆲
おふろに入った、あの、ふはあ…みたいな溜息のタイミングが一緒で、ふやけた顔のおばさんと目があった。
言葉はないけど、たぶんお互いにお疲れさまって言ってる気がする。
きょう仕事は、お風呂担当の日で20人くらいお風呂お手伝いした。
お湯ってほんとに不思議で、自分を自分であたためきれないとき、本当に頼りになる。ただの水でしかないのにナ。
毎日の治療がつらい人、お家に帰りたいけど帰れない人、あしたの体が心配で眠れないひと、いろんな人がいるけれど、お風呂につかって時がほぐれる表情はみんな同じで、なんだかいとおしくなる。おゆの力は偉大だと思う。人が人らしくあれる場所で。感情がすごく素直になる。
仕事おわりは私の体はお湯を求めて小走りでお風呂屋にいく。
お湯で体と心をチューニングする。
仕事で、「つらい」って言われた裏の理由を掘って掘って、わからなくて不安になる。たしかな言葉なんてかけてあげれない。
やさしい世界でわたしだけくすんでいるような気がする。お湯はどこまでも透明でいいナ
そんな仕事で疲れ切ったあたまを今日の出来事採点なんかさせて、さらに疲れてしまう。採点なんかしたくないのに頭では肯定されたさが暴れて、プライベートにもどれないのだ。
肯定怪獣が暴れてる。
温泉にはいって時をふやかして、ゆっくりあたしが個人に戻っていく。
その時間がすごく大好きだ。自分を大事にできない自分が一生懸命自分を大事にしようともがいてる感じがするが、ぎこちなさも含めてぎゅをしたい気持ちになる。
わたしは人がきらいで。だけどさびしいから、同じところにはいたい。
銭湯やこの飲み屋だって、となりは知らない人が二人で話しているけど、同じ店の同じ曲を聞いて一緒にいるような、いないような、がほんとに心地いい。
周りと一緒に心がハピすることを「コミュニティヘルス」と言って、密かなブームなのだけど、これがコミュニティヘルスなのではないか、と、ひとりふむふむとする。
緩い和のなかでゆっくり生きて、死なない。
自分の大事が一番大事で、周りもいる中で自分がいる、その緩さの輪にずっといたい気持ちがある。
ゴミにもならない、あたしの健康の話ね、
あたしは人の生きたさを肯定していくような仕事についているけど、正直自分はつねに死にたみがある、通年しにたみ
消えたみが「不健康」で、死にたみがまだ「健康」なコンデションなので、黒のなかにも地味にグラデーションがある具合なのだ。
そんなコンディションでぎりぎりを生きてるもんだから、患者さんの死にたさを強く否定できない。わかるとしか言えない。わからないけど。
だから、「そばにいる、そこにいる、いてほしい」を大事したいなァ
はげますコミュ力はないし、前提にキラキラの人生じゃないし、なにせ生きる屍の身なので
「そばにいる、あなたがここにいる、いてもいい、どちらかというといてほしい、らぶ」しか言えないナ
短歌がすきなのも生きたさを肯定されたいのかもしれない、わたしこの仕事むいているのかな、なんて今週もう何十回って考えたって、すでにビール飲んじゃもうなにもわからないね~
さ、ハピだから踊っちゃおっかね
てんてこのまい〜〜〜
短歌
「もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい」
岡野大嗣
そうだここは競争社会だってね。
こころがちいさくて、どこにも逃げ場がなくて。
言葉の解像度が低いのを感情論で逃げるのは卑怯だって、記事もみてしまって、
いったいわたしは何から逃げてるのかね。
最近事例とかでさ、仕事の成果が評価する/されるで、
他人の目に映る自分の価値をまっすぐ見たとき
価値すらなくて人間にもなれないのに、
自分はいったい…
って価値の虚無感に苛まれていたのよ、
価値をきめられてたまるか。
ま、そんなんじゃ仕事にならないんだけどね。
そういった評価で消費する社会があるって
社会人6ヶ月やってほんと痛感するよ〜
感情や言葉ですらサービスなんだから、やになっちゃうね。
そんなんで、自分が搾取する消費側になったら、評価はしたくないね〜
がんばりをえらいえらいして肯定してあげる自分でいたいね。なんて思ってたのさ。
ふわわ〜
最近パソコンを買ってね。
2店舗いってかたや一所懸命のインターン生、かたやバリバリコミット即日購入奨励の攻め攻めの販売員さんでね。
結論としては攻め攻めの店員さんの方がお買い得だったから、インターン生の所で買わない選択をしたの。罪悪感。
わたしのお友達。大事な友達がね。
バリバリのコミュ力をもってて家電販売員になりたいんだって。あの子もそうやって社会で評価されて/評価されなかったりして、行くんだろうなとおもったら、
インターン生と重なって、買わなかったことや、わたし自信じぶんが嫌って思った搾取側になっていたりして、罪悪感の黒くてトゲトゲしたなかにいる。
ハァ。あの攻め店員さんすごいなあ。
割引のハッタリかもしれない額を言ったのに、
お値引きしますって。ええ。そんなあたしのこと信じれるの?攻め攻めのつよつよで、要望は叶えてくれているはずなのに、いろいろなサービスつけますよ、買ったらキャンセルはいつでも大丈夫ですからって言われた瞬間空気が一瞬くすんで、自分を遠くの方から眺めてる気持ちになった。
値段が安すぎて、じぶんが騙されてかのような、キツネに背中をつままれている空気がして。なんだか天邪鬼になって、考えさせてくださいっていって言っちゃった。こわかったな。
最近買い物になれてなくて、迷う余地が自分で保てないとそわそわしちゃうな。
悩む時間がなれてなくてぎこちないな。
あ、ふわふわのお餅が見たい。
無害でやわらかいやつ。
ここは競争社会だったってね。
餅すら選んでる自分も搾取側だってさ。むり〜
無害に生きたい〜〜
溝は私でうめないでと思った日のこと
月明かりがそれはそれはきれいで、1人でいたらきっとさびしくなってしまう日のことです。
むかし、すこし好きだった男がおりました。
その人はゴールでシュートを撃てないけど、みんなから"優しい人"と呼ばれる「仏」のような人で。
その仏とよるごはんに行きました。
かれこれ4年ぐらいごはんに行く仲の人です。
話をする中で、はじめは好きだったけれど、ゴールの打たない女々しさが嫌にやって、「あ、仏とは友達にしかなれない」と感じたことを思い出しました。
一線を緩やかに引くくせに、したたかな下心でホテルへ誘ったり。ソフレって関係性を口にしなかったり。孕んでる心の裏に気づいては、仏から、関係性をちゃんと言って欲しいなって、膿のドス黒いところと思っていました。(私はいえないから)
実は仏には彼女がいます、3年目の。
一緒にホテル行かない?と誘われました
コロナだし、後飲みに行けないからって。
ちょっとお酒飲んで寝るだけ前にも何もなかったでしょって。
はじめはなんだか気持ちがわからなくって、断れなかったけれど、確かに「仏」のソフレになりたい訳でもない。
でも正直少し誰かに甘えたい。けど仏は嫌だ。
みたいな気持ちになってグチャグチャ…
そしてホテルへ行く途中で、断って帰ってきてしまいました。
色々考えてわかったことがあります。
それは、ああ言ってほしかったんだなって。
自分の弱さで言えないところをあなたにかばってほしかった。
私はあなたの何かになりたかった、
彼女の溝は私にしか埋められないって、言ってほしかった。なんて欲張りなんだろ。
自分の膿を直視したら気持ち悪くなりました。ゲロのあとの吐瀉物の匂い。
たとえば、仏の歩くスピードが速くて、きっと彼女だったら合わせてくれるのに。彼女だったら歩幅を合わせるんだろうな、とか。
彼女の溝を感じて、これが一線なのかと思うと、欲張りたくなくても闘争意欲に駆られてしまうし。彼女になりたいわけでもないのに、とか。
もう「さびしさの埋め合わせ」をやめましょう。
だって、人のものを見ると羨ましくなってしまう。だけどそれは本意じゃなくって。本意じゃないのに流されてしまう。わたしは弱い人間です。関係が拗れる前に、手を離す強さがほしい。蜘蛛の糸が切れるような、切れる力強さがほしいのです。
頭がいたい。それとねむい。
私はわたしのものでしかなくって。
考えすぎたら頭がいたいですねえ。
月がきれいで泣きそうな日のことでした。
おしまい。
いつもどこでも2cm浮いてる
はじめまして。
いつどこで誰といたって2cmくらい浮いてる気がする、生きづらい人です。
そんな経験したことみなさんはありますか。
わたしは生まれてこの方、重力に逆らって浮いていますよ。
ええ。生きづらさに狂い、成れの果てた宇宙人です。
ちろちろと川の流れのように文字を吐いて地球に着陸したいところですね。はい。
そこで地球にブログ開設です。いそいそと川をつくりましょうね。
どぶ川へようこそ、サファリパーク。サファリーパークとは。
はあ。
文字は変わらず素直じゃないし、鋭くないしお口が上手なわけでもなく、とりわけ脳内宇宙人なのですが、宇宙人には兄弟がいます。
姉と妹。それが別種の人間タイプで、頭が割としっかり陽キャ。まぶしいねえ。
同じ血が通ってるとは全人類が思わないほど人間性があって(遺伝は本当にクソ)。
性格よくて尚死ねばいい。
対比にぴったりなわいはゴミなんですが今にはじまったことではない。
姉は結婚もして人生の需要過程を真っ直ぐ突き進み、妹も後追うように男がいます。
姉の旦那はもちろん陽きゃなので「男はまだいないの〜」とつつき(やかましい死ね)ます。
そんな話題になりまして、なんでいないんだろね、性格騙してたら全然ええのにとか言い(ディスりしね)そもそも「結婚」を当たり前として押し付けるのも無理なんですが、無理なのです。
ディスりはおいとき、24043104歩譲歩したとしても、ゴミはわかるのです。
ゴミエイリアンにも、かつて男がおりました。優しくてマリアみたいな男が。
それはそれは天地がひっくり返るほど、価値観が広がりました。
ああ、人類とはこうして男という別姓と親しくなることでえっちいことから世界観まで広げてたりして、豊かな人生のコマをすすめるんだろうなと、ふと悟り、コマの進め方に孤独や焦りを感じたのを思い出しました。
妹も男ができてからと言うもの、言動と言動の間からみえる、人間の仕草が少し変わったように思えてしまうのです。
気の焦りなのでしょうか。
私の知らないところで、コマをスタコラサッサと進めて、地球で地に足をつけ、健やかに育っている。その知らない溝の黒いカタマリを、ふと感じとってしまった。もう私はまた地球にはたどり着けないと思いました。わたしの浮いてる膜は薄いかと思ったら分厚くかったのです。故郷の星へひとり帰り、文字をいそいそと書き、めそめそ川つくりませう。
思い出しながら水を端から引いていきます。同じ育ち方をしたはずだったけれど、きっと見る景色がきっと妹と姉はどこか違う、気付くたびに、同じと思ってた浅ましさが宇宙人にぴったりだと思いました。
2cm の透明な膜につつまれて浮くようなわたくしの景色は濁ってて。自分のお気持ちさえ取り出せずにもがいて、どこかさびしくて、綿矢りさの真似をしようとも、所詮、自分の背中はかわいくて蹴れない、自分が可愛くて醜いエイリアンなのです。
身の丈に合わない理想を電子レンジに無理に押し込み、毎日ゴリゴリに回転させようとするのでは、そりゃ痛いですねえ。理想と目をあわせるとて黒くてなにがなんだか、まあ今更なにをエイリアンがわかるというのだというところなのですが。なにもわからない。
わかったことは、ただひとつ。
ようこそここがサファリパーク(狂)